元ゲームプランナーの雑記帳

元ゲームプランナーがアニメやゲームの感想やら、ふと思った雑談を垂れ流すだけのブログです。

【考察】伊坂幸太郎「グラスホッパー」

グラスホッパー読みました。

鈴木は復讐を果たせず、鯨は『清算』できず、蝉は独り立ちできともやっとした結末だなという印象でした。最後の一文を読むまでは。

回送電車は、まだ通過している。

今回はこの1文からの考察をまとめます。

伊坂さん関連の作品は重力ピエロと漫画版魔王しか読んでないので、伊坂節に明るくありませんのでご了承ください。

 

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●幻覚の始まりと終わり

 田中「(略)例えば町で立っている時に、目の前の信号の点滅がちっともとまらなかったり、歩いても歩いても階段が終わらなかったり。通過する列車がいつまで経っても通り過ぎない、とか。この列車ずいぶんながいなぁ、なんて思ったらまずい兆候ですよ。そういうのは全部幻覚の証拠です。(略)信号はたいがい見始めの契機で、列車は目覚めの合図だったりします」

最後の一文は幻覚からの目覚めの合図となります。 では始まりはどこでしょうか? これは読み返せばすぐにわかります。冒頭で比与子に2人を殺せと迫られる場面です。

鈴木「交差点の歩行者用信号の青色が、点滅をはじめる。その点滅がゆっくりに見れる。いくら待っても赤にならない。 この信号はいつまで点滅しているんだよ。」

つまり鈴木は作中のほぼ全てが幻覚に囚われていた事になります。

 

 

●どんな幻覚に囚われていたのか?

ここで見出しの様な疑問が浮かびます。

鈴木が幻覚を見ていたとなると、鈴木は信用できない語り手になりますね。

鯨編と蝉編のみを事実として読み返し、私なりに3つの仮説を立てました。

 

1 鈴木が体験した事全てが幻覚

冒頭か最後まで鈴木が幻覚に囚われていると気付いて一番歳に思いついた説です。

しかし2人が鈴木に絡むのは物語の後半から。

シナリオ上、鈴木が偽描写していようがいまいが進行に問題ないんですよね。

鈴木が偽描写するメリットや要因もないのでこの説はほぼ100%無いと思います。

 

2 押し屋の存在が幻覚

寺島の事故で押し屋の姿をはっきり見た人物はいません。 鯨も蝉も槿に直接会っていません。実際に槿と会って会話したのは鈴木のみです。 桃の「押し屋は都市伝説ではないか?」という疑問も後押ししています。

しかし、比与子が孝太郎と電話で会話しているのでこの説も否定されます。

 

3妻の声が幻覚

作中で最も幻覚を見ているのが鯨です。鯨の幻覚の内容は自殺させた人間との会話でした。つまり幻覚=亡霊との会話です。

鈴木は度々亡き妻の問いかけや過去の言葉と脳内会話していました。 つまり幻覚=妻との会話と考えられます。

 

鈴木が見ていた幻覚の解説

私の妄想補完が入っています。

鈴木は妻の復讐のためとはいえ見知らぬ少女たちを騙して犠牲にしていた事に罪悪感があった。黄と黒の殺害を命令され、ストレスが限界に達し幻覚(妻の亡霊)を見るようになってしまう。 このままでは復讐に囚われ続け、裏社会からは逃れられず破滅する未来が待っているのは明白だ。

しかし寺島と比与子が死に令嬢は解体された。裏社会のつながりが断たれ、妻の死の決着が着いたのだ。そして最後のバイキングの場面で妻の死を『消化』して生きて行く事を決意をする。それをきっかけに幻覚から目覚める。

 

 

●余談「バカジャナイノー」と見つからないシール

考察するにあたっていろんなサイトを見ました。その中でホームで聞こえた「バカジャナイノー」が幻聴だという説をいくつか見かけました。

私は鈴木の幻覚は妻の亡霊、そしてそこに兄弟は確実に存在していたと思います。

槿「本当に大事なことは、小声でも届くものだ」

彼らとの出逢いは大切なものだったから、鈴木に声が届いたのでしょう

 

先の項目で鈴木と裏社会との繋がりは断たれたと述べましたがまだ一つ残っています。『劇団』です。

劇団員の孝太郎がくれたシールは劇団との繋がり、非日常の象徴になります。そのシールが見つからない、つまり非日常との繋がりが断たれたことを示唆しています。

ちなみに指輪も何度か無くしていますが、こちらは対照的に必ず見つけています。指輪を日常の象徴とするならこれは日常への帰還を表していすのではないでしょうか

 

改めて見直すとこの小説は鈴木というひとりの男が妻の死を乗り越えて生きることを決意する教養小説だったとわかりますね。